vol.1 「夜と霧」感想・レビュー

好きなものを紹介しながら、考えたことをまとめていきたい。

この本、「夜と霧」は五年前に初読したのだが、以来人間という生き物に対する考え方が180度変えられた。なんとなく毎日に疲れてしまった、自分に対する自信がなくなってしまったと感じる方にはぜひおすすめしたい一冊である。きっと、「生きるってすごいことだ」と感じることができると思う。

著者のヴィクトル・E.フランクル(Victor Emil Frankl, 1905-1997)はアドラー、フロイトに師事した精神科医、心理学者である。

「夜と霧」の中では、彼が第二次世界大戦中にナチスによって強制収容所に収容された当時の体験の記録が克明に記されている。

まず第一に、この本が教えてくれるのは知識の力だ。収容所では、Victorも髪を剃られ、所持品を文字通りすべて取り上げられ、個人を表現することのできる物質がひとつ残らず取り削がれた。食事も睡眠も十分にとることができない、いつ殺されるかも分からない極限状態である。

しかしこの状況について、彼の中に浮かんだのは好奇心だった。極限状態に置かれた人間は、実際に、どうなってしまうのか。それを自分の身をもって、あるいは他者の観察によって、知恵に変えようという思考に彼をたどり着かせたのは、精神医学の知識だった。所持品は取り上げられても、知識は取り上げることはできない。その気にさえなれば、そんな状況であろうと新たな発見や喜びさえ享受することが可能なのだと思い知らされる。そしてそれを後押ししてくれるのが知識なのだということも。この好奇心のしぶとさが彼に生き抜く力を与えたのだろうと、読んでいく中で何度も前向きな気持ちにさせられる。

だからこそこの本は、悲惨な歴史を繰り返さないための記録に留まらず、人間が経験を超えて新たな活路を見出すための力強いメッセージとして捉えられるのである。

第二に大切なのは、Victorによって観察された人間たちの生き様である。

Victorは収容所での絶望をこのように描写している。

すでに述べたように、価値はがらがらと音をたてて崩れた。つまり、わずかな例外を除いて、自分自身や気持ちの上でつながっている者が生きしのぐために直接関係のないことは、すべて犠牲に供されたのだ。この没価値化は、人間そのものも、また自分の人格も容赦しなかった。(中略)強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在であるという自覚などは論外だ。

「夜と霧」p82 第二段階 収容生活

収容される以前の生活の中で生きがいとしていたものをすべてはぎとられた人間たちは、それでも生きながらえようとする。その過程で、個々の人間がどのように自らの生と向き合い、時間を送っていくのかを観察していく中で、彼はある結論を導き出している。

つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

「夜と霧」p111 第二段階 収容生活

人間の内面は完全には他者によって支配されることはできない。そして収容所に生きた人たちは、まっとうに苦しむことの意味を証したとVictorは断言する。

「人間の精神的自由」を自分は使いこなせているだろうか、と改めて問わずにはいられない。自分の力では到底変えられないような運命と向き合う時に、どのような精神をもって生きるのか。そのような視点で日常を振り返れば、少しだけ力が湧いてくる気がする。

人間とは面白い生き物だ。

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